歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2009/08/21(金)   CATEGORY: 活動日誌
カン製作調査覚え書き
カンかつて保津川を下っていた筏。昨年、「保津川筏復活プロジェクト」が立ち上げられ、半世紀の時を経て、保津川下りの若手船頭衆によって復活した。この筏を組み立てるのに欠かせない「カン」とよばれる金具がある。


片井さん1亀岡市京町にある「片井鉄工所」。いわゆる鍛治屋であるここで、かつて「カン」が製造されていた。亀岡市には合併前の各村々に1~2軒ずつ、合計17軒ほどの鍛冶屋があったが、今ではここ片井鉄工所を残すのみとなっている。
片井操さん、78歳。片井鉄工所の3代目で、現在も町の鍛冶屋として農具の修理を請け負っている。その傍ら、2009年6月から8月にかけて、約60年ぶりに「カン」を300個製作した。

対談6月4日。この日、昨年の筏流し再現の指導にあたってくれた元筏士の酒井さん、上田さんと初めて会った。2人の元筏士の親方とはカンの配達で会うことはあったが、仕事の話をすることはめったになかったという。この日の対面には、亀岡市文化資料館や京都府南丹広域振興局など筏復活プロジェクトの関係者が多数参加した。 約60年前の懐かしい話で会場は盛り上がる。その後は実際にカンを作ってもらった。元筏士の2人もこの現場を目にしたのは初めて。

防火の神仕事場の神棚には防火の神「愛宕」が奉られている。この神棚にあるカギとカマを付けたお供え物は、10年ほど前から毎年正月に供えているという。火を焚いて仕事を始める前に、ここで手を合わせているという。



火床1 尖らせる 曲げる

カンの製造は、まずコークスをくべて火床を作る。火床に鉄柱の3分の1ほどを入れ、モーターのふいごによって火床の温度は約1000度まで温められる。温められた鉄は赤く光っている。これを金床という台に乗せ、槌で先端を尖らす。リズミカルな音。調子のいいときには演歌を口ずさみながら作業をしていたという。
両端を尖らせたら、鉄柱の中央を熱する。鉄柱の中央を、鍛冶屋ハシというハサミと小型の槌を駆使してU字型に曲げていく。長さを揃えるには、金床の角を使う。空気によってあっという間に冷えてしまうので、素早い動きが求められる作業だ。
出来上がった「カン」はまだ熱いので、水につけておく。この作業は「ヤキを入れる」という意味で鉄の強度を高めるものだ。「人間で言うと根性を入れる」と片井さんは言う。

火床2「カン」の製造のポイントは3つある。1つは、鉄の焼け具合。時々パチパチと音を立てる火の粉の量で鉄の焼け加減がわかるという。焼けすぎると強度が劣る。2つ目のポイントは、木材に打ち込むための先端の尖り具合。ただ鉄を打つのではなく、「前に引き伸ばす」という意識で槌を振っている。3つ目は、鉄の曲げ具合。槌を握る右手よりも、鉄を掴んでいる左手に力が入っている。

鉄工所1片井さんが初めて「カン」を造ったのは15歳のころ。当時は一度に何百個という注文が入っていた。師匠である父親の姿を見ながら、造られた「カン」の配達をしていたという。一人前の鍛冶屋になるには師匠の仕事の様子をひたすら目で覚えて約10年ほど修行しなければならなかった。
片井さんをはじめ、近畿で活躍した鍛冶屋のほとんどが和歌山県出身である。片井さんの父親は、農家からの注文が増える3月~5月と8月~10月だけ亀岡にやってきて仕事をされていたという。その後、亀岡に定住することになった。そうした中、当時のカン製作は年間通してに15日ほどのものだった。

東別院工場アングルカッター昭和30年代に建てた東別院町にある工場も案内してもらった。鍛冶以外の仕事(鉄筋の加工など)はこちらで行っている。ここには篠山市の同業者から譲ってもらったアングルカッターという機械がある。本来は建築資材を加工するものだが、今回はカン用の鉄柱を必要な長さに切り揃えた。
工場の隣には簡易の休憩スペースがあり、ここで寝泊まりすることもあった。夜遅くまで工場の明かりがついているのを目にした近隣住民が風呂を貸してくれたこともあったという。

仕事場京町の仕事場の天井にはつるしがある。「もったいない」の精神で火床を利用してご飯を炊くこともあったそうだ。師匠である父親と交代で火加減を見ながらつるしの高さを調節していた。「鍛冶屋の親父が炊く飯はうまい」という逸話がある。
60年ぶりのカン製作の話題で片井鉄工所は賑やかになった。これまでに近所の小学生や学園大歴史民俗学専攻の学生、保津川下りの船頭衆、マスコミ関係者などがここを訪れ、カン製作を体験した。その光景を横目に片井さんは「多くの人にこの催しを見せたい」ということで、10日ほどで仕上がるカン300個の製作を、3ヶ月の時間をかけて行った。「仕事を覚えろとは言いません。少しでも笑ってもらえたらそれでありがたいです」と話す。現場では毎日笑いが絶えなかった。

片井さん2そして8月19日。残り30個のカンを一気に仕上げて300個の製作は終了した。300個目のカンができると「はい、おおきに」と仕事場に向かってそっと手を合わせた。「ありがたい、もったいないの一言。一に感謝、二に感謝。60年の空白があって仕事をさせてもらえたありがたさ。嬉しい」と感想を語る。
9月9日の筏流し再現に向けて思うことは、「山陰線の列車からその風景を目にしたことがありましたが、筏を組んでいるところは見たことはまったくありません。当時は組んでいるところを見ている暇があれば仕事をしろでしたが、今回自分の作らせてもらったカンで筏を組むところを見させてもらうというのはありがたい、嬉しい、幸せばかり」と話してくれた。

つちのこ亭幸之鳥
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