歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2008/08/08(金)   CATEGORY: 活動日誌
第4回筏流しと舟運技術を聴く
 今回で4回目となる筏流しと舟運技術の聞き取りが、亀岡市文化資料館で開催されました。まずはじめに、文化資料館の黒川館長より9月10日の筏づくりイベントに向けた企画の進行状況が報告されました。特に、当日は台風シーズンなので雨天中止の場合のことも綿密に企画しなければなりません。さらに、筏だけでなく、水車や木造船の復活も、京都府の「地域力再生プロジェクト」に盛り込んでいこうという動きもありました。また、亀岡市議会議員の有志によってJR亀岡駅の北口前に保津峡のオブジェが設けられたことも報告されました(写真:オブジェ)。
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 さて、前回までの聞き取りは筏流しのことが中心でしたが、今回は木造船以降の保津川の様子や船頭の仕事ぶりをお聞きすることができました。現在の保津川下りで使われている舟はプラスチック製となっていますが、木造船は昭和54年頃まで下っていたそうです(写真:模型)。

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(所蔵:亀岡市文化資料館)

 筏は嵐山まで到着すると解体されますが、木造船の場合は、乗船場まで引き上げなければなりません。元船頭の上田さんの現役時代には現在のようなトラックはなかったので、人力で引き上げるしかなかったのです。これを「曳き船」といいます(写真:オブジェ)。

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 この曳き船をするには、船頭4人がチームを組んでします。船の先端部に長さ30メートルほどの専用の綱(写真)をつけ、3人の船頭がそれぞれ引っ張りながら、船長が竿で方向を調整していくという大がかりなものです。綱を引く船頭は先頭から「先綱」、「中綱」、「後綱」と呼ばれており、先綱は若手、後綱はベテランが担当していました。急流の保津峡を遡って乗船場まで戻るのに4時間はかかったそうです。

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(所蔵:亀岡市文化資料館)

 保津峡には、「綱道」という曳き船の専用ルートがありました。しかし保津峡の左右すべてに綱道が整備されていたわけではなく、対岸の綱道を通るというのを山本浜まで12回ほど繰り返していました。このルートを上田さんは丁寧に説明してくれました。大変険しい場所なので、履いていたわらじはボロボロになり、廻ヶ渕でわずか1分の間に代えのものに履き替えていたそうです。

 聞き取りの後半は、今の船頭もやっていらっしゃる「川作」の技術をお聞きしました。川作とは、保津川の水量が減ったときにそれまで浸かっていた岩が露出し、船の通過の妨げになる箇所(「小鮎の滝」など)があるため、道木を置き、水をせき止めて部分的に水量を増やすことを言います。上田さんたちが現役の頃はこれを「木工沈床堰(もっこうちんしょういせき)」と呼んでいました。この木工沈床堰は日吉ダムの完成によって渇水が緩和されたので頻度も減ったそうです。

 次回の8月27日の聞き取りでは、9月10日の本番に向けて、実際に現役の船頭さんたちが筏を試作します。

まねーじゃーさん
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