歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2008/06/23(月)   CATEGORY: 活動日誌
落語と怪談「うわなりうち」(1)
 近世の怪談小説には、離婚した末に怨霊となった前妻が、新妻や夫に危害を加える話があります。これを「うわなりうち」という風習としてとらえ、なぜうわなりうちが怪談として語られるのか、うわなりうちの意味や人々の興味から説こうと思います。
 まずは、こんな話を紹介します。

 むかし、安部宗兵衛という者がいて、彼は日ごろから妻を酷く扱っていました。妻はそれを悔しく思ううちに病みつき、死んでしまいました。もはや末期というとき、それまでのつらい思いを語り、
「この怨み、決して忘れない。今に思い知るがいい」
と言い残しましたが、宗兵衛は死骸を山に捨て、葬儀も行わなかったのです。
 そして、死んで七日目のこと。宗兵衛が女と寝ていたところ、妻の怨霊が現れました。腰から下は血潮に染まり、長い髪を振り乱し、緑青(りょくしょう)のような顔色をして、歯は黒く、眼はぎらぎらと光って、口が鰐(わに)さながらに裂けていました。
 宗兵衛はなすすべもなく身をすくめているばかりでした。怨霊はそばにいた女を八つ裂きにし、
「今夜はもう帰る。また来て、積年の怨みを晴らすとしよう」
と言って、かき消えました。
 宗兵衛は震え上がりました。翌日は名高い僧たちを呼び大般若経を読むとともに、多数の弓鉄砲をそろえて守りをかためました。
 しかしいつのまに来たのか、怨霊は宗兵衛の背後に立っていたのです。宗兵衛が、なんとなく背中がぞっとするようで振り返ると、怨霊の眼がきっと睨みすえて、
「さてさて、用心の厳しいことよ」
 そう言って凄まじい姿になって、宗兵衛を二つに引き裂き、周囲の女も蹴殺すと、天井を破って虚空に飛び去ったのです。


出典「諸国百物語:安部宗兵衛が妻の怨霊の事」
(高田衛・原道生『百物語怪談集成』国書刊行会 1993年)


1.うわなりうち(後妻打)とは
 この話は江戸時代に書かれた『諸国百物語』という本に「安部宗兵衛が妻の怨霊の事」というタイトルで収録されています。
 うわなりうちというのは、女騒動とか、騒動打とも言われます。民俗学者の折口信夫によると、「自分の夫に新しい愛人ができたとき、その家へ、元からの妻が自分の身内をかたろうて攻めかけて行き、家へ乱入し、その家の道具をめちゃめちゃにしてくる。」(注1)とあり、前妻と離縁してからすぐ(ひと月ほど)に新しい妻を迎えた場合、前妻が後妻に対し報復として住居の破壊などの暴力行為をおこなうことをいいます。

2.いつから行われたのか
 そのうわなりうちは、室町から江戸時代前期にかけて行われていたと言われますが、古い記述は11世紀初期の貴族の日記にありました。
 近世では、うわなりうちをする怨霊を描いた怪談小説が多くみられます。また、山東京伝の『骨董集』や滝沢馬琴の『烹雑(にまぜ)の記』では、うわなりうちの風習を解説・批評しています(注2)。おもしろいことに、これらの文献に記述されているうわなりうちは、前妻が後妻にいついつ騒動に参るということを申し出て、後妻から返事をもらって押しかけていくもので、両方に怪我人が出ないようにと、木刀や竹刀を持って行く者が多く、しかも男は参加しないことになっていたといいます。そのうわなりうちは1644年の頃までは実際に行われていたということです。

(注)
注1 折口信夫「嫉みの話」青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18399_14234.html
注2 氏家幹人『かたき討ち 復讐の作法』中央公論社 2007年

まねーじゃーさん
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