歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2010/04/02(金)   CATEGORY: レポート
参与観察~その1~
 歴史民俗研究会では記述された文献と現地でのフィールドワークを行いながら歴史・民俗について研究するサークルです。そもそも「フィールドワークとは研究対象となっている地域または社会へ研究者自身がおもむき、その地域または社会に関して何らかの調査を行うことである。」(『文化人類学辞典』弘文堂)今日のフィールドワークの見方を作り上げたのはマリノフスキーである。彼が行った参与観察というのは調査対象となっている社会の中で暮らし、共に生活を行うことによってさまざまなデータを採取していくものである。
 さて、私は2009年度の『質的社会調査法』という授業で行った参与観察のレポートを掲載したいと思う。参与観察では異文化の社会に入り社会生活と共に行うことによってデータを出すのだが、私が行った社会は歴史民俗研究会の部室のような場所であるH館共同研究室である。その中で、人がどのように行動し、いかにこの場所を認知しているのかを知るために観察を行った。
 学生の授業内レポートのため拙い表現や観察結果には曖昧なものが含まれているかもしれないがご了承いただきたい。

『共同研究室の参与観察』

はじめに
 私は自身がよく出入りするH館共同研究室について参与観察したい。この研究室は学生と教員が常に出入りし学生と教員が学習、雑談やご飯を食べるなど様々なことをしている。学生というのも特定の学生だったりまったく初めての学生だったりと変化がある。そしてこの研究室は卒業された人たちの代からなくなることがなく存在している。次々とこの部屋を学生たちが使用するのには何かこの部屋には人を寄りつかせるものがあるのではないかと思う。そこでこの研究室で参与観察を行うことによってその魅力がわかるのではないかと考える。今回は研究室という空間を面的に考え、どのような人がどのような位置に座りどのような行動を取るのかを全体的にとらえるように観察した。また、そのために研究室の概要として成り立ちをS先生にインフォーマントとしてなっていただき聞き取りを行い、そのほかの先生や学生にも話を伺った。


共同研究室の概観
 共同研究室はH館2階の○○教室と●●実習準備室の間に位置し、廊下を挟んでH、あと2人の先生方の研究室が並んでいる。共同研究室は略して共研と呼ばれている。共研はR学専攻の学生と教員が集まり、学習や雑談をしているところである。授業と授業の間の休憩として使われおり、学生と教員が一緒にお昼ご飯を食べたり、お菓子を食べるところでもある。基本的には教員のS先生とH先生が中心としておられる。

 共研の成り立ちをインフォーマントから聞き取った内容をまとめる。

 1999年までK短期大学のときは△▲室だったが、この年にH学部が誕生しその時人文学部では助教授はゼミを持つことができず、S先生、H先生方が金曜の放課後に裏ゼミ、H先生を中心とするサークル活動をするために使いだしたのが始まりである。この当時の昼休みや他の時間帯は各先生方の研究室に学生たちが集まり、お昼ご飯やおやつを食べていて金曜の放課後だけ集まる部屋とされていた。そして、徐々に△▲室を使うようになり2002年ごろには完全に△▲室を脱却するようになる。なぜ、2002年なのかはこの年のオープンキャンパスから学生に参加させていたためそのためにも学生に指導する部屋が必要となったということもあったらしい。また、その時から◆□室のM先生が大学に来るようになりS先生と意気投合したM先生もこの部屋に集まるようになった。その後、オープンキャンパスにも学生が次々と参加するようになった。この当時はY先生によって共同研究室という名前を書いた紙を張り出されていた。つまりこの当時はまだ△▲室として大学側に申請されていたのである。そして、2006年の夏休み前にA氏によってこの場所に鍵がかけられる。夏休みを挟み2~3ヵ月締め出されていたらしい。当時山口県の高専で殺人事件があり、大学では管理について厳しくなってきた頃であった。それも原因の一つとしてA氏は教員と学生が勝手に部屋を使うことに反感を抱いていたのでH先生にメールで抗議した。これに対してH先生がメールで反論しO氏のアドバイスにもあり、研究室として使用を認められた。なぜ研究室という名称なのかは各学部には教員が共同で使う研究室があり、H学部ならY館に共同研究室がある。もしH館にも共同研究室を作るとH学部だけ2つ持つことになるからおかしい。ということなので大学側に申請した名称は研究室なのである。この時に大学との協定で月曜日から金曜日の9時から17時までしか鍵が開かず、警備員による管理が行われている。これは現在でも同じで施錠時間であるが、融通は利くようになっているが未だにこの研究室の鍵は教員のだれもが持っていない。2008年にR学専攻ができてから常に部屋が使用されるようになり現在のようにお昼ご飯やおやつを食べたり、学習するなどさまざまな用途で使われるようになった。また家具の配置については変化がない。おやつの準備は2006年ごろYさんがよく自腹で買ってきたのをMさんが受け継ぎ、ドーモ君制度を作った。コーヒーについては2005年に入学したNさんが一時はまっていたのをMさんが先生に入れるようになり今はTさんが趣味でいれるようになった。
 過去の様子についてだが、昔はもっときれいだった。それは部屋を常に使っていなかったこともあるらしい。そしてきれい好きのKさんが入ってからよく掃除をするようになってきれいに保っていたがKさんが卒業された2009年からは掃除する人がいなくなり汚くなった。余談だが1999年ごろは各先生方の研究室でご飯を食べていたこともありS先生の研究室はきれいに保たれていた。しかし、徐々に使わなくなったことにより今のような地層が出来上がった。男女比についても1999年ごろは短大生が支流ということもあり男子より女子のほうが多かった。そして徐々に男子が多くなった。しかし、R学専攻ができた年は女子が多かった。部屋の雰囲気も昔は保健室のように暗かったがR学専攻ができてから明るくなった。そして毎年のように先輩たちは後輩が入るとなんか研究室の雰囲気が変わったというらしい。部屋の備品についても△▲室があった時から本棚などはあった。またこの時はコピー機もこの部屋にあった。その後各先生たちが要らなくなったパソコンをもちよるようになる。無線LANは2008年の春ごろにH先生が接続した。また、冷蔵庫はB先生が持ってきた。テレビ台はS先生が引越しの時に要らなくなったものを持ってきて置かれている。ホワイトボートもS研究室からこっちに移した。時計についてもはじめついていたものが壊れてKさんが持ってきたものである。
これが共同研究室の大まかな歴史である。


次回から調査内容を掲載する
                                            ステルラ・マリス

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