歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2010/02/24(水)   CATEGORY: 活動日誌
王地山稲荷大明神の謎(1)
歴民研メンバーのみなさん、春休みいかかお過ごしでしょうか。
さて、久しぶりに亀岡をフィールドワークしてきたので中間報告します。
1.王地山稲荷大明神とは
 亀岡市北古世町に鎮座する王地山稲荷大明神(図1)には、五穀豊穣、商売繁盛、勝負に勝つなどのご利益がある。かつては同じ丹波国篠山にあったというこの神社を、時の亀山藩主・松平信岑が篠山から亀山に転封したとき(1748年)に、ともに移されたという。もとは千葉県の土浦に祀られていた神仏習合の形の「稲荷大明神」である。

IMG_0140.jpg
図1 王地山稲荷大明神


 この稲荷大明神にまつわる伝承とその類話が四つ確認されている。それを紹介しよう。

2.負け嫌い稲荷
 この王地山稲荷大明神のそばに立てられている看板の「ひとくちコラム」によれば、次の「負け嫌い稲荷」というエピソードがある。以下に要約する。
 時代は特定されていないが、毎年江戸両国で開催される上覧相撲(将軍が観戦する相撲大会)に各藩はそれぞれ抱える力士を輩出していた。亀山藩の力士はいつも負けてばかりいたが、あるとき、連戦連勝で勝ち進んだ力士が現れた。藩主は慰労して褒美をつかわそうとしたが、その力士はこつ然と姿を消していた。その力士の正体は、この王地山稲荷の化身であるとわかり、絵馬などを奉納したということから、勝利の守護神として厚く信仰されるようになったという。

3.力士に化けた稲荷
 大正末期に出版された坪井忠彦、垣田五百次著の『口丹波口碑集』は、その名の通り、口丹波(現在の亀岡市、南丹市など)の昔話や伝説、奇談などを収めている。その中に、「力士に化けた稲荷」というエピソードで、この王地山稲荷のことが綴られている。あらすじは以下の通りである。
 これも時代を特定できないが、相撲の観戦が好きな江戸の将軍が、各藩の力士を集めて、江戸で相撲をやっていた。あるとき、亀山藩から王子山と名乗る力士が現れ、ことごとく勝ち星を決めていった。あまりの凄さに驚いた亀山藩主が王子山を呼びつけたが、そのような人物は見つからなかった。当時の亀山藩主は、古世にある王子稲荷を熱心に信仰していたため、「お稲荷さまが力士に化けて、お殿さまを喜ばせたのでは?」と語られている。

4.通夜稲荷の力士
 同じ亀岡市北古世町で、王地山稲荷大明神のある細い路地に、通夜稲荷大明神(図2)がある。『京都 丹波・丹後の伝説』(京都新聞社,1980年)によると、王地山稲荷大明神の力士のエピソードの類話がここに伝承している。

IMG_0146.jpg
図2 通夜稲荷大明神


 こちらも時代を特定できないが、その昔、江戸城で各藩お抱えの力士を集め、相撲大会が開かれた。大会当日、亀山藩主らの顔色はさえない。亀山藩のお抱え力士は他藩に比べるとどうみても幕下並みである。
 やがて、「狐山」という呼び出しの声が場内に流れた。藩主らは聞いて顔を見合せた。亀山藩には「狐山」という力士は存在しない。しかし土俵に現れた狐山は藩主たちに会釈した。この狐山、他の力士を全く寄せつけず、圧倒的な力で優勝し、喝采を浴びた。
 藩主は狐山を酒席に呼び出すが、彼は大会のあとすぐに引き揚げたようである。急いで亀山藩の者に問い合わせると、名前も聞いたことがないという。帰国した藩主は日頃から厚く信仰している「通夜稲荷」に礼参りに向かったところ、ふと「このお稲荷さまが化けて恩返しをしたのではないか?」と思い至った。それ以後、藩主の通夜稲荷への信仰はさらに厚くなったという。

5.篠山の王地山稲荷
 現在の兵庫県篠山市は亀岡市と同様、かつては丹波国であった。そんな篠山藩にも、この王地山稲荷にまつわる類話が確認できる。
『日本の民話14』(1974)によると、青山忠裕が藩主だったころの篠山藩で、幕府の老中であったときのことである。毎年開催される上覧相撲があるが、篠山藩の力士はいつも負けていた。あるとき、王地山平右衛門ら数人の力士が藩主に紹介され、上覧相撲に参加した。いつもなら真っ先に負けて帰る篠山藩だったが、このときは全員が勝ち星をあげ、ついに優勝したという。
 この力士を呼ぼうとした篠山藩主だったが、彼らはいつのまにか帰国していた。藩主は「すぐに呼び戻せ!」と怒鳴った。ある者が、今回活躍した力士たちの名前と稲荷が関係しているということを指摘する。「お稲荷さんのお供えがそのまま残っている」「お殿様を助けようと、お稲荷さまたちは江戸にのぼったのでは?」と。以来、藩主はそれぞれの稲荷にのぼりや絵馬などを奉納して感謝したという。これが篠山の「負け嫌い稲荷」の起こりである。

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