歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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DATE: 2010/02/24(水)   CATEGORY: 活動日誌
春休みフィ-ルドワーク②
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
本日は春らしい…むしろ暑いくらいの日でしたね。
今回もフィ-ルドワークを試みましたので報告させていただきます。
今回は東山方面です!

智積院…真言宗智山派の総本山で一度は秀吉の焼討ちを食らったが家康の帰依をうけ再興。金堂には大きな大日如来様がチケン印を結んで私たちを守ってくださっているようです。

妙法院…伝教大師最澄が開山し、最初は比叡山の山内寺院として山上に存在した。蓮華王院との関わりが深い。普段は公開されておらず5月、11月の特別拝観で拝観可能。

大谷本廟…浄土真宗親鸞上人の信仰厚く今でも信者に崇高を受けている。西本願寺派である。

法観寺…霊応山法観寺と言い臨済宗建仁寺派に属す。通称八坂の塔と言われ、坂から見上げる塔は風情がある。かなりおススメです。

京都霊山護国神社…幕末・維新に尽力した人物にゆかりがあり、坂本竜馬・中岡慎太郎の墓がある。

大谷祖廟…大谷本廟と対の東本願寺派の信者の信仰を集める。

知恩院…知恩院総本山で法然上人が開基。浄土真宗の伽藍に負けないほどの壮大な伽藍です。三門は圧巻です。

↓この道々花園天皇陵がありました。

青蓮院…三千院・妙法院と並ぶ天台宗三門跡のひとつで粟田御所ともいわれた。青不動が圧巻であり庭園も天皇陛下が訪れたことがあるほどだそうです(平成14年)

百万遍知恩寺…浄土宗八総大本山であり、法然上人の木像が本尊。伽藍も壮大。



以上簡単ではありますがまとめさせていただきました。
感想としては東山は庭園が似合う古刹が多いということ。かなり心なごみます。青蓮院には大胆に「京都にも静かな場所はある」と青蓮院自らをアピールしていました。その通りなごみます…。
今回も数々の仏様のお慈悲をいただき…自分の無力さに考え深いものを味わい仏様に生かされているという気持ちになりました。またお会いしに行きます。
特に今回は法観寺と青蓮院、知恩院をおススメとさせていただきます。
次回も京都の古刹を網羅していきたいです。写真提供希望の方はお待ちしてます。
では皆さんも良いフィ-ルドワークを行ってくださいね。
タカハシ先輩ネタにどうぞ。

合掌      ひこにゃん
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DATE: 2010/02/24(水)   CATEGORY: 活動日誌
王地山稲荷大明神の謎(1)
歴民研メンバーのみなさん、春休みいかかお過ごしでしょうか。
さて、久しぶりに亀岡をフィールドワークしてきたので中間報告します。
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DATE: 2010/02/24(水)   CATEGORY: 活動日誌
王地山稲荷大明神の謎(2)(修正)
ご指摘が多少あったので修正しました。

6.伝承の比較
 これまであらすじを紹介した王地山稲荷大明神の伝承とその類話の事例を比較してみると、詳細な伝承内容が得られたのは「篠山の負け嫌い稲荷」であった。また、青山忠裕が篠山藩主であり老中だった時代であると特定されており、それは一八〇四(文化元)年以降のことであったとされる。
 史実と伝承を整理すると、まず一七四八(寛延元)年に松平信岑が亀山藩に移った際、篠山藩にあったとされる王地山稲荷大明神もともに移された。その時代、まだ伝承は発生していない。それから数十年後、青山忠裕が藩主となり、老中となったころに、篠山藩での伝承が起こる。そしていつしか亀山藩でも語られるようになったと考えることができる。
 よって、亀山藩での伝承は、もとは篠山藩での伝承であり、内容の「篠山藩」が「亀山藩」に変化したと思われる。そして、「篠山の負け嫌い稲荷」はこの他の三つの伝承のオリジナルであると考えることができる。しかし伝承がいつ、どのような形で亀山藩にもたらされたかは推測の域を出ないが、同じ丹波国の二つの神社と、篠山、亀山の関係の密接さを伝承から読み取ることもできる。
 また、転封の際、篠山にあるこの神社も亀山に移すということは、信岑はこの稲荷を熱心に信仰していたということを裏づけてくれる。


7.なぜ「力士」に化けたと語られたのか
 この四つの伝承に共通するのは、稲荷が力士に化けたということである。ここでは力士に化けた理由ではなく、力士に化けたと語られたことを中心にみていく。
 それを考えるキーワードとなるのが、江戸時代の相撲にある。特に、将軍の目の前で行う上覧相撲で勝ち星を取るということの意味を考えると、あるとき突然、強い力士が現れ、将軍がご覧になっている相撲に勝ったと語れば、篠山藩、亀山藩の人々にとって鼻高々なことだと思われる。それは、現在の王地山稲荷大明神が、勝負の神様として人々から信仰されていることからも裏づけることができる。
 また、江戸時代の相撲は現代のように大衆文化であった。将軍が相撲の観戦を楽しんだように、庶民も相撲観戦を余暇の過ごし方としていたようだ。また、伝承が示す年代は、かの有名な大関・雷電が活躍した時代に近い。当時は上覧相撲のほか、寺院への寄付を求める勧進相撲の興行も各地で行われていたという。
 妖怪としての王地山稲荷を考えた際、当時の大衆文化——相撲——に表れている、ということも指摘できる。妖怪は、その時代の大衆文化と深く関係を持っており、現代においても妖怪は小説や映画、アニメやマンガに登場しているのである。


参考文献
大森恵子(1989)「狐伝承と稲荷信仰—特に、変化型狐伝承と茶吉尼天信仰を中心にして—」『日本民俗学』No.177,94-116頁
京都新聞社(1980)『京都 丹波・丹後の伝説』京都新聞社
下中弘(1993)『日本史大事典 第4巻』平凡社
坪井忠彦・垣田五百次(1925)『口丹波口碑集』東京堂書店
二反長半・宮崎修二朗ほか(1974)『日本の民話 14 大阪・兵庫篇』未来社
和歌森太郎著作集刊行委員会(1983)『和歌森太郎著作集 第15巻』弘文堂

つちのこ亭幸乃鳥
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タカハシの一人井戸端
今回、ちょっと滑舌が悪いかも。

タカハシの一人井戸端 第三回

リンク先からダウンロードし、お好きなプレーヤーで再生して下さい。


                                       by タカハシ
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DATE: 2010/02/03(水)   CATEGORY: 活動日誌
春休みフィ-ルドワーク
みなさんこんにちは。最近いかがお過ごしでしょうか?
春休みに入り個人FW行いました。内容を大まかに紹介します。

2月2日
京都のFWを試みました。北山方面がメインです。各訪問地とひとことつづります。

大報恩寺(千本釈迦堂)…おかめ、節分で有名で節分前日と言うこともあり地域民の方が準備をされていました。六道の使者である「六観音」像も唯一残っています。
引接寺(千本閻魔堂)…閻魔像が本尊であり、紫式部の菩提寺でもある。小野篁信仰もある。
石像寺(釘抜地蔵)…手の病気で悩む商人が地蔵菩薩に治してもらうという由緒からきている。実は商人の手には目に見えない釘が打たれていたのだ。
今宮神社…一条天皇が疫病除けのために建てたという。名物あぶり餅が美味。
大徳寺…禅宗寺院であり、伽藍規模は絶大。末院が伽藍内に多数点在。
鹿苑寺(金閣寺)…世界文化遺産の一つで金閣が有名。金閣寺というのは別名であり、正式には鹿苑寺。
法輪寺(だるま寺)…境内には約八千個のだるまがある。節分前日でも賑わっていた。

2月3日
同じく北山方面がメインです。

賀茂御祖神社(下鴨神社)…節分会が開催されていた。境内は膨大な敷地を誇る。糺の森の流鏑馬が有名。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)…京都の最北と言ってよい場所に位置しており、山の地形を生かした境内となっている。
慈照寺(銀閣寺)…鹿苑寺と並ぶほど京都では有名。同じく銀閣が有名。
伏見稲荷大社…全国三万社の稲荷社の総本社であり、千本鳥居などが有名。


今回2日にかけて行ったFWをまとめてみました。
課題としては2日目に下鴨神社で神事芸能を拝借しすぎて時間がギリギリだったこと。おかげで最終行程である伏見稲荷大社の千本鳥居の写真が夕闇でリアル感あるものになりました。(見たい方は写真提供でも。)
1日に多数を回るFWはいけないと思いました。大切な聞き取りもあまりせず、隠れた穴場ももっとあったかもしれません。

今後…
伏見稲荷の奥社からさらに境内をすべて網羅するには2時間かかるそうです。ぜひ日を改めて網羅したいものです。
さらなる京都散策(花園・嵯峨野・山科あたり)をしてみたいものです。

今回のFW項目が皆さんの「行きたい」という気持ちを引き立てたようなら幸いです。
2月3日に予定していた節分会巡りですが定員不足のため実施しませんでした。すみません。
報告させていただきました。   合掌  ひこにゃん
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