歴民研活動報告
このブログでは京都学園大学「歴史民俗研究会」の活動を紹介しています
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やおとめウッドペッカー
夏もそろそろ終わりなので、あの夏の思い出をゲームにしてみたよ。
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DATE: 2008/09/11(木)   CATEGORY: 活動日誌
保津川筏復活プロジェクト2008速報
天候に恵まれ、無事に筏復活プロジェクト2008を実施することができました。その様子を報告します。

9月10日に実施することは以前から決定していました。これは、一昨年保津川で起きた落石事故の防止策として、保津川遊船企業組合がこの日を一斉運休し、船頭さんや業者が保津峡の危険な箇所のチェックに出ており、保津大橋下の保津浜の会場を確保しやすいためでした。観光客に安心・安全な川下りを楽しんでもらうための一日でした。

歴史民俗研究会からは、聞き取り調査と同様に私が、歴史民俗学専攻からは教授と学生が見学に来ました。

朝早くから保津大橋下の保津浜会場では展示・休憩用のテントが組み立てられました。
その中に、連絡協議会に参加している各団体の展示物や、筏の歴史を知るための貴重な資料が並べられました。これらは、午後から来る一般参加者や小学生、高校生に筏や保津川を学んでもらうために用意されました。

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設置された休憩用テント

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(左)NPO法人プロジェクト保津川の展示物 (中)桂川流域ネットワークの展示物 (右)保津川ゴミゼロ環境アクション2008のお知らせ

10月26日に京都学園大学で開催する保津川ゴミゼロ環境アクション2008の案内も設置しました。詳しくはこちらで。


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「筏流しの記憶」から保津川の舟運、河川開削などの歴史の展示物(所蔵:亀岡市文化資料館)

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(左)筏組みのために必要な道具「カン」「ネソ」「トチ」 (右)「弁当籠」と「曳綱」

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プロジェクト保津川と筏復活プロジェクトのオリジナルTシャツ。スタッフが着用しているものと同じものが販売されました。

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DATE: 2008/09/02(火)   CATEGORY: 活動日誌
落語と怪談「落語・死神」
皆さんはこの死神という噺をご存じでしょうか?昔話の「命のロウソクを継ぎ足す話」と聞くと、聞いたことのある方もいらっしゃるかと思いますが、
まずこの怪談噺のあらすじから説明していきたいと思います。

①あらすじ

有るところに、貧乏子沢山の夫婦がいて、十三人目の子供が産まれたけれど名付け親を探す金がない。とうとうおかみさんに追い出されただんなさんは思い余って身投げしようとします。そこへ死神がやってきて、かわいそうだからこれからはひいきにして金儲けの仕方を教えてやると持ちかけます。死神は男に死神を消す呪文を教え、医者になるように勧めます。男は教わったとおりに病人の足元からつぎつぎと死神を追い払い、名医としてあがめられ大金持ちになりました。あるとき、金に目がくらんだ男は死神との約束を破り、悪知恵をはたらかせて病人の枕元にいる死神を消してしまいます。その夜、死神が現れて男を暗い穴の中に連れて行きます。そして無数に揺れるロウソクの炎の中でひときわ短く、今にも消えそうなロウソクを示します。それは男に残されたいのちの炎だったのです。

「落語死神の世界」の著者西本氏は「落語の噺とは、噺家の個性の出るもので、そのつど内容がアレンジされる」と述べています
このほかに、継ぎ足し成功落ちなど存在しますが、だいたいの筋書きはこのようなものです。

この「死神」のお話ですが、グリム童話とオペラの中に、まったく同じといっていいほどよく似た話が見られます。
大衆娯楽であった落語の噺が、いつどこでどのように成立したか定かではないので
どちらが落語死神のルーツであるか決めつけることはできません
反対にどちらも落語死神のルーツであるともいえます。
今回は、グリム童話の「死神の名付け親」にスポットを当てて比較したいと思います。


②死神の名付け親

グリム童話の死神の名付け親では、男でなく、その息子の物語となっており、死神に名付け親になってもらった息子が大きくなって死神に金儲けの仕方を教わり医者になるが、報酬に目がくらみ死神のいいつけをきかないで死ぬ運命の患者を助け、死神に地獄の洞穴に連れていかれ、先述の落語と同じくして命のロウソクを消されてしまうというストーリーです。


③二つの相違点

この二つの話の相違点を並べてみると、ほとんどおなじであることがわかります。
グリム童話の成立は、昔話がはやり始めた18世紀末1812年ドイツのことです。
このグリム童話は、創作ではなくグリム兄弟がドイツ各地をめぐって、口承文芸を集めたものです。
いっぽう、落語「死神」は明治20年1887年~1897年の間に
名人とうたわれた三遊亭園朝により成立したといわれています。
日本にグリム童話が完訳として入ってきたのは大正13年のことで、この明治の頃は
複数の翻訳者がグリム童話の一節を独立した物語として翻訳し世に出していたに過ぎませんでした。
となると、外国語のできなかった園朝が「死神」を知ったのは本ではなく人づてによるものだと言えます。
円朝に「死神」を教えたのは明治のジャーナリスト福地源一郎だという説が有力です。

このことから、落語「死神」は外来種の噺であると言えます。


③伝播する昔話

このほかに日本には、大工と鬼六など、海外の童話との類似点が多くあり、海外から持ち込まれたと思われる昔話も多く見られます。
海外の童話がなぜ日本の民話として定着したか、理由が二つ考えられます。
第一に海外から日本に書物を持ち込む時、翻訳者が童話の登場人物の名前を日本名に直して訳したため読者にあたかも日本の出来事であるように錯覚させたこと
第二に当時本は大変高価なもので、より広い世帯に伝えるため、口承、講演童話の形がとられていたことです。「死神」の童話も、落語だけでなく山口や岡山の民話としても採取されています。


④まとめ

落語「死神」は19世紀ヨーロッパの美の理念荒々しさ、唐突な変化、混合的なもの、複合的なもの、不規則なもの(ピクチャレスク)を受け継いだドイツロマン派の「グリム童話」が日本にもちこまれ、口承される。その物語を円朝が昇華し落語に作り替えるという、日本のみならず、ヨーロッパの口承文芸も含んだ物語であり、
そのルーツは民族学の点からみても非常に面白いものであります。
「死神」は明治の変容の世に現れるべくして現れた、非常に価値ある噺であるといえます
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